当寺は慈光山普照院(じこうざんふしょういん)と申します。
天平18年(746年)行基菩薩によって開基されました薬仙寺(神戸市兵庫区)境内に於いて、国阿上人が貞治4年(1365年:室町時代初期)に普照院を建立されました。
その後は、永らく薬仙寺内塔頭(たっちゅう)寺院として、兵庫史と共に歩みます(約500年)。
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(昭和5年ごろの普照院本堂:右後方白い建物) |
そして近代に入った明治26年(1893年)、時宗慈光寺(現・兵庫区神明町付近)と合併し、いよいよ教理拡大しようという最中、昭和20年(1945年)神戸大空襲にて被災、薬仙寺と共に本堂・仏像等を焼失しました。
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(震災から3年後に撮影) |
戦後、當山23世義天足下住職の尽力により、昭和34年(1954年)、他の神戸市内の時宗戦災寺院の中でも一早く移転(神戸市長田区)復興が成されました。
しかしその寺盛発展の最中、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災により、本堂・庫裏が全壊の被害を受けます。
檀信徒のほぼ全世帯が被害を受けた中、寺院復興の時を逸し、震災後数年間は無住の状態が続きます。
しかし、この二度にわたる苦難を檀信徒一同の篤い信仰により乗り越え、建立以来より当寺がございました元祖地(神戸市兵庫区:薬仙寺境内)に、震災から15年後の平成22年(2010年)に移転、新本堂を建立し現在に至ります。
本尊は阿弥陀如来仏にて、脇仏として一遍上人と開山上人(当寺院を建立された僧侶)である国阿上人をお祀りしております。
併せて山羽学竜足下筆・寺宝『釈迦三尊図』、また地元で信仰集める『樽地蔵尊』も本堂内にお祀りさせていただいております。
なお平成27年(2015年)は、当寺院が兵庫の地に建立されてから650年の節目の年になりました。
*当寺院の境内墓地は、戦後の神戸市の港湾整備計画により強制移転(昭和26年:1951年)させられ、現在の神戸市営垂水墓園内(神戸市垂水区)にございます。
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